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宗祖御遷化記録

  宗祖御遷化記録   弘安五年一〇月一六日 正本 西山本門寺藏
一、弘長元年辛酉五月十二日伊豆國被流御年四十 預伊東八郎左衛門尉造立正安國論一卷奉最明寺入道故也、同三年二月廿二日、赦免、
一、文永八年辛未九月十二日被流佐土島御年五十 預武州前司依極樂寺長老良觀房訴狀也、訴狀在別紙同十一年甲戌二月十四日赦免、
 同五月十六日、甲斐國波木井身延山隱居す地頭南部六郎入道
一、弘安五年壬午九月十八日武州池上入御地頭衞門大夫宗仲
 同十月八日本弟子六人被定置此狀六人面々可帶云々 日興一筆也
      定
     一弟子六人事 不次第
    一、蓮華阿闍梨 日持
    一、伊與公   日頂
    一、佐土公   日向
    一、白蓮阿闍梨 日興
    一、大國阿闍梨 日朗
    一、辨阿闍梨  日昭
 右六人者本弟子也、仍爲向後所定如件。
   弘安五年十月八日
   同十三日辰時御滅御年六十一 卽時大地震動、
   同十四日戌時御入棺、日朗日昭 子時御葬也、
一、御葬送次第
   先火      二郎三郎鎌倉住人
   次大寶華    四郎次郎駿河國富士上野住人
   次幡      左 四條左衛門尉
            右 衞門大夫
   次香      富木五郎入道
   次鐘      大田左衞門入道
   次散花     南條七郎次郎
   次御經     大學亮
   次文机     富田四郎太郎
   次佛      大學三郎
   次御はきもの  源内三郎御所御中閒
   次御棺     御輿也
              侍 從 公
              治 部 公
             左
              下 野 公
              蓮華阿闍梨
   前陣 大國阿闍梨
              出 羽 公
              和 泉 公
             右
              但 馬 公
              卿  公

              信 乃 公
              伊 賀 公
             左
              攝 津 公
              白蓮阿闍梨
   後陣 辨阿闍梨
              丹 波 公
              大 夫 公
             右
              筑 前 公
              帥   公
   次天蓋     大田三郎左衞門尉
   次御大刀    兵衞志
   次御腹卷    椎地四郎

   次御馬     龜王童
           瀧王童
一、御所持佛敎事、
   御遺言云、
  佛者釋迦立像 墓所傍可立置云云、
  經者私集最要文名注法花經
  同籠置墓所寺六人香花當番時可被見自餘聖敎者非沙汰是限云云、仍任御遺言所記如件、
  弘安五年十月十六日                      執筆 日  興 花 押

歴代法主全書 一巻八〇頁

  宗祖御遷化記録   弘安五年一〇月一六日 読み下し(平成新編御書 一八六三頁) 一、弘長元年辛酉五月十二日、伊豆国に流され御年四十 伊東八郎左衛門尉に預けらる立正安国論一巻を造り最明寺入道に奉る故なり。   同三年二月廿二日、赦免。 一、文永八年辛未九月十二日、佐土が島に流され御年五十 武州の前司に預けらる極楽寺長老良観房の訴状によるなり。 訴状は別紙に在り。   同十一年甲戌二月十四日、赦免。   同五月十六日、甲斐国波木井の身延山に隠居す地頭南部六郎入道。 一、弘安五年壬午九月十八日、武州池上に入御地頭衛門大夫宗仲。   同十月八日、本弟子六人を定め置かる此の状六人面々に帯すべし云々。日興一筆なり。       定      一弟子六人の事 不次第     一、蓮華阿闍梨 日持     一、伊与公   日頂     一、佐土公   日向     一、白蓮阿闍梨 日興     一、大国阿闍梨 日朗     一、弁阿闍梨  日昭    右六人は本弟子なり、仍って向後の為に定むる所、件の如し。     弘安五年十月八日   同十三日辰の時、御滅御年六十一 即時に大地震動す。   同十四日戌の時、御入棺日朗日昭 子の時、御葬なり。 一、御葬送次第     先火      二郎三郎鎌倉の住人     次大宝華    四郎次郎駿河国富士上野の住人     次幡      左 四条左衛門尉             右 衛門大夫     次香      富木五郎入道     次鐘      大田左衛門入道     次散華     南条七郎次郎     次御経     大学亮     次文机     富田四郎太郎     次仏      大学三郎     次御はきもの  源内三郎御所御中間     次御棺     御輿なり                侍従公                治部公              左 下野公                蓮華阿闍梨     前陣 大国阿闍梨                出羽公              右 和泉公                但馬公                卿公                信乃公                伊賀公              左 摂津公                白蓮阿闍梨     後陣 弁阿闍梨                丹波公              右 大夫公                筑前公                帥公     次天蓋     大田三郎左衛門尉     次御大刀    兵衛志     次御腹巻    椎地四郎     次御馬     亀王童             滝王童 一、御所持仏教の事    御遺言に云はく   仏は釈迦立像 墓所の傍らに立て置くべし云云。   経は私集最要文注法華経と名づく 同じく墓所の寺に篭め置き、六人香花当番の時之を被見すべし。自余の聖教は沙汰の限   りに非ず云云。 仍って、御遺言に任せ記す所、件の如し。  弘安五年十月十六日                      執筆 日  興 花 押
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南條殿御返事

南條殿御返事 正本 富士妙蓮寺藏

 故尼御前の御ために、白米一斗・御酒大瓶一・さいさい(再々・細々)の御くそく(具足)、いろいろにみ(見)まいらせ候ぬ。ほん(盆)の御ために、きうたち(公達)みな御よりあひ候て、いとな(営)ませ給候よし、ほとけしやう(仏聖)人の御けんさん(見参)申しあげまいらせ候ぬ。恐々謹言。
  七月十三日
日 興 花押

南□(條)殿御返事

歴代法主全書 一巻一七六頁

「日興跡条々事」資料編

工事中 随時更新予定
ここには「日興跡条々事」の資料を付す。
ここでは資料に対する考察は書かない。
平成新編日蓮大聖人御書(大石寺版) 1883頁
日興跡条々事  元弘二年一一月一〇日

一、本門寺建立の時、新田卿(にいだきょう)阿闍梨(あじゃり)日目を座主と為し、日本国乃至一閻浮提の内、山寺等に於て、半分は日目嫡子(ちゃくし)分として管領せしむべし。残る所の半分は自余の大衆等之を領掌(りょうしょう)すべし。
一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。
一、大石寺は御堂と云ひ墓所と云ひ日目之を管領し、修理を加へ勤行を致して広宣流布を待つべきなり。
 右、日目は十五の歳、日興に値ひて法華を信じて以来七十三歳の老体に至るも敢(あ)へて違失の義無し。十七の歳、日蓮聖人の所に詣で甲州身延山御在生七年の間常随給仕し、御遷化の後、弘安八年より元徳二年に至る五十年の間、奏聞の功他に異なるに依って此くの如く書き置く所なり。仍って後の為(ため)証状件(くだん)の如し。
   十一月十日

日  興 花 押

日蓮正宗聖典 519頁
日興跡条条事
一、本門寺建立の時は新田卿阿闍梨日目を座主と為し、日本国乃至一閻浮提の内山寺等に於いて、半分は日目嫡子分として管領せしむべし、残るところの半分は自余の大衆等之れを領掌すべし。
一、日興が身に宛て給はるところの弘安二年の大御本尊は日目に之れを相伝す、本門寺に懸け奉るべし。
一、大石寺は御堂と云い墓所と云い日目之れを管領し、修理を加え勤行を致し広宣流布を待つべきなり。
 右日目は十五の才日興に値い法華を信じてより以来七十三才の老体に至るも敢えて違失の義無し、十七の才日蓮聖人の所に詣で甲州身延山御在生七年の間常随給仕し、御遷化の後弘安八年より元徳二年に至る五十年の間、奏聞の功他に異なるに依つて此くの如く書き置くところなり、仍つて後の為め証状件の如し。
十一月十日
日  興 判
nikkouato_seiten519.jpg


歴代法主全書 第一巻96頁
日興跡條々事 正慶元年十一月十日

一、本門寺建立之時新田卿阿闍梨日目座主日本國乃至一閻浮提之内山寺等半分者、日目爲嫡子分管領、所半分自餘大衆等可
一、日興ハル弘安二年大御本尊日目與之本門寺
一、大石寺者云御堂墓所日目管修理勤行廣宣流布也。
 右日目十五之歳値日興法華以來至于七十三歳老體遺失之義、十七之歳詣日蓮聖人甲州身延山御在世七年之閒常隨給仕、御遷化之後自弘安八年元德二年五十年之閒奏聞之功依ナルニ、如、此也。仍後證狀如件。
   十一月十日
日   興  花 押
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日蓮宗宗学全書 第二巻興尊全集興門集134頁
日興跡條條事

一、本門寺建立之時新田卿阿闍梨日目座主日本國乃至一閻浮提之内山寺等半分者、日目嫡子分管領、所半分自餘大衆等可
一、日興ハル弘安二年大御本尊日目□□□□授與之
一、大石寺者云御堂墓所日目管修理勤行廣宣流布也、
右日目十五之歳値日興法華巳來至于七十三歳老體遺失之儀、十七之歳詣日蓮聖人甲州身延山御在世七年之間常隨給仕、御遷化之後自弘安八年元德二年五十年之間奏問之功依ナルニ、如、此也、仍後證狀如件。
   十一月十日
日   興  

□凡四字者後人故意缼損之而授與下以他筆相傳之可奉懸本門寺九字
nikkouato_kouzen134.jpg


家中見聞中 富士宗学要集五巻188頁
第十七世日精上人の仰せの引文
日興跡条条の事

一本門寺建立の時は新田郷阿闍梨日目を座主と為し、日本国に於て乃至一閻浮提の内、山寺等の半分は日目嫡子分として管領せしむべし、残る所の半分は自余の大衆等之を領掌すべし。
一日興が身に宛て給る所の弘安二年の大御本尊日目に之レを授与す。
一大石の寺は御堂と云ひ墓所と云ひ日目之を管領す修理を加へ勤行を致し広宣流布を待つべきなり。
 右日目十五の歳日興に値ひ法華を信じて以来七十三歳の老躰に至るまで敢て違失の儀なし、十七の歳にして日蓮聖人の所甲州身延山詣で御在生七年の間常随給仕す、御遷化の後弘安八年より元徳二年に至る五十年の間奏聞の功、他に異なるに依て此くの如く書き置く所なり。
 元徳四年三月十五日
日興在判

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富士門家中見聞抄(中) 歴代法主全書第二巻194頁
第十七世日精上人の仰せの引文
日興跡條々之事
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富士大石寺明細誌 富士宗学要集五巻327頁
第四十八世日量上人の仰せの引文
日興跡条々之事
nikkouato_fuyou5-327.jpg

★更新履歴
2014/10/20 貼り付け画像をサムネイルとリンクに変更、富要五巻188頁をテキストとして打ち込んだ

曾禰殿御返事

開祖日興上人遺文
日興上人が故人を弔うために門弟を遣わす、つまり葬儀を執り行う旨を仰せである文証

曾禰殿御返事 正本 保田妙本寺蔵

 なによりハ一王(いちおう)殿の御うは(乳母)他界御事(おんじ)申はかり候ハす、明日こそ人をもまいらせて御とふらい申候ハめ。又精靈御具足法花(ほっけ)聖人の御靈前ニ申上まいらせ候。


  正月十七日

白   蓮 花押


    曾禰殿御返事

日蓮正宗歴代法主全書 第一巻152頁

読み下し
曾禰殿御返事

何よりは、一王殿の御乳母他界御事申しばかり候はず、明日こそ人をも参らせて御弔い申し候はめ。又精霊御具足法華聖人の御霊前に申し上げ参らせ候。

佐渡國法華講衆御返事(さどのくにほっけこうしゅうおへんじ)

開祖日興上人遺文

佐渡國法華講衆御返事 元亨三年六月廿二日 正本 北山本門寺蔵

 御かうしう(講衆)の申さゝむね(旨)、き(聞)こしめし候ぬ。さては、さいしやうどの(宰相殿)御事、しきぶ(式部)のきみ(公)のほんじやく(本迹)のほうもん(法門)を申を、き(聞)こしめして、御かう(講)、一とう(統)にならせ給たるやう(様)にき(聞)ゝ候しあいだ(間)、さ(然)のとおも(思)ふて候へば、そのぎ(義)なきに御かうしう(講衆)よりも、さいしやうどの(宰相殿)よりもう(受)け給候。さては御し(師)はたれ(誰)にて、御わたり候けるぞ、たれ(誰)より、さうでん(相伝)したりとも候はす。かうしう(講衆)は、しでし(師弟子)、そんぢ(存知)せぬと申され候。かやうに、あら(明)かに御わたり候けるを、一とう(統)の御かう(講)に、しまいらせ給けるこそ、ふさた(無沙汰)に候へ。じこん(自今)いご(以後)は、し(師)をさだ(定)めて、かうしう(講衆)にも、一とう(統)せられ候べし。このほうもん(法門)はしでし(師弟子)を、たゞ(糾)して、ほとけ(仏)になるほうもん(法門)にて候なり、たゞし日本國の一さい(切)しゆしやう(衆生)、ぢごく(地獄)にお(堕)ちうずると、しやう(聖)人の仰候は、上下萬民、しよほつしん(初発心)のしやか(釈迦)ほとけ(仏)をす(捨)てまいらせて、ある(或)いは、あみだ(阿弥陀)ほとけ(仏)、ある(或)いは大日によらい(如来)、ある(或)いはやくし(薬師)ほとけ(仏)を、し(師)とたのみて、ほんし(本師)しやか(釈迦)によらい(如来)にそむ(背)きまいらせ候あひだ(間)、むけんぢごく(無間地獄)とは、をう(仰)せ候ぞかし。さいしやうどの(宰相殿)御しんじん(信心)を、を(起)こし、ほんじやく(本迹)のほうもん(法門)をき(聞)こしめしう(受)けとらせ給ける、し(師)はたれ(誰)にて候けるぞ。御し(師)だにもさだ(定)まし候はゞ、御こう(講)にも、一とう(統)こそ候はめたゞしは御し(師)さだ(定)まらず候けるあひだ(間)、こぞ(去年)よりして、かうしう(講衆)一とう(統)しまいらせぬよし(由)う(承)け給候はあ(有)りがた(難)く候。そうしてさるべき人の御かうしう(講衆)に御わたり候こそ、かたかた(方々)のため(為)にもあ(有)りがた(難)きこと(事)にて候へけれ。さいしやうどの(宰相殿)よりの御じやう(状)にも、御し(師)はたれ(誰)とも候はず、かうしう(講衆)よりも、しでし(師弟子)ぞんち(存知)せぬと申され候あいだ(間)、御くやう(供養)おさ(収)めまいらせず候事は、きは(極)めておそ(恐)れ入て候へども、このほうもん(法門)た(立)て候事は、ゑんぶだい(閻浮提)一の大事にて候あひだ(間)、かやうにきたい(鍛錬)申候だにも、しやう(聖)人の御せうらん(照覧)にはゆる(緩)くやおぼ(思)しめ(召)され候らんと恐入まいらせて候なり。御かうしう(講衆)じこん(自今)いご(以後)において、へんぱ(偏頗)ありてしやう(聖)人のほうもん(法門)にきず(瑕)つ(付)け給候な。なをなを(尚々)このほうもん(法門)は、しでし(師弟子)をたゞ(糾)してほとけ(仏)になり候。しでし(師弟子)だにもちが(違)い候へば、おな(同)じほくゑ(法華)をたも(持)ちまいらせて候へども、むげんぢごく(無間地獄)にお(堕)ち候也。うちこしうちこしぢき(直)の御でし(弟子)と申やから(輩)が、しやう(聖)人の御とき(時)も候しあひだ(間)、ほんでし(本弟子)六人をさだ(定)めお(置)かれて候。そのでし(弟子)のけうけ(教化)のでし(弟子)は、それをそのでし(弟子)なりとい(言)はせんずるためにて候。あん(案)のごと(如)くしやう(聖)人の御のち(後)も、すゑ(末)のでし(弟子)どもが、たれ(誰)はしやう(聖)人のぢき(直)の御でし(弟子)と申やから(輩)おほ(多)く候。これらの人はうばう(謗法)にて候也。御こうしう(講衆)ら(等)このむね(旨)をよくよくぞんぢ(存知)せらるべし。恐々謹言。

  元亨三年六月廿二日

白  蓮 花押


     さどの國の法華かうしうの御返事

日蓮正宗歴代法主全書 第一巻182~184頁


※誤字脱字未チェックにつき注意のこと


プロフィール

美華子愛♪

Author:美華子愛♪
日蓮正宗信徒の美華子愛♪です。念のため申し上げておきますが、男性です。
昭和50年に創価学会三世として生を受け、以来平成20年まで創価学会に在籍。両親はともに現役の学会幹部。
創価学会の本尊が偽造本尊と知り平成20年に脱会、法華講の方と接触して御住職ともお話を伺い、日蓮正宗こそ正当と確信して同年に勧誡式を受けて日蓮正宗に帰伏、現在に至る。

本ブログは、主に日蓮正宗の教義資料の掲示、それに関連する傍系反系資料を含めて掲示します。
特に入手の難しい資料で信徒にも重要と思われる物について掲示していきます。
なお、誤り等あるときはご連絡いただけますと幸いです。

メールアドレスは
mikacolove0101-blog@yahoo.co.jp
メールの題に
【ブログ連絡】
と付けてくださると幸いです。

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