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「日興跡条々事」資料編

工事中 随時更新予定
ここには「日興跡条々事」の資料を付す。
ここでは資料に対する考察は書かない。
平成新編日蓮大聖人御書(大石寺版) 1883頁
日興跡条々事  元弘二年一一月一〇日

一、本門寺建立の時、新田卿(にいだきょう)阿闍梨(あじゃり)日目を座主と為し、日本国乃至一閻浮提の内、山寺等に於て、半分は日目嫡子(ちゃくし)分として管領せしむべし。残る所の半分は自余の大衆等之を領掌(りょうしょう)すべし。
一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。
一、大石寺は御堂と云ひ墓所と云ひ日目之を管領し、修理を加へ勤行を致して広宣流布を待つべきなり。
 右、日目は十五の歳、日興に値ひて法華を信じて以来七十三歳の老体に至るも敢(あ)へて違失の義無し。十七の歳、日蓮聖人の所に詣で甲州身延山御在生七年の間常随給仕し、御遷化の後、弘安八年より元徳二年に至る五十年の間、奏聞の功他に異なるに依って此くの如く書き置く所なり。仍って後の為(ため)証状件(くだん)の如し。
   十一月十日

日  興 花 押

日蓮正宗聖典 519頁
日興跡条条事
一、本門寺建立の時は新田卿阿闍梨日目を座主と為し、日本国乃至一閻浮提の内山寺等に於いて、半分は日目嫡子分として管領せしむべし、残るところの半分は自余の大衆等之れを領掌すべし。
一、日興が身に宛て給はるところの弘安二年の大御本尊は日目に之れを相伝す、本門寺に懸け奉るべし。
一、大石寺は御堂と云い墓所と云い日目之れを管領し、修理を加え勤行を致し広宣流布を待つべきなり。
 右日目は十五の才日興に値い法華を信じてより以来七十三才の老体に至るも敢えて違失の義無し、十七の才日蓮聖人の所に詣で甲州身延山御在生七年の間常随給仕し、御遷化の後弘安八年より元徳二年に至る五十年の間、奏聞の功他に異なるに依つて此くの如く書き置くところなり、仍つて後の為め証状件の如し。
十一月十日
日  興 判
nikkouato_seiten519.jpg


歴代法主全書 第一巻96頁
日興跡條々事 正慶元年十一月十日

一、本門寺建立之時新田卿阿闍梨日目座主日本國乃至一閻浮提之内山寺等半分者、日目爲嫡子分管領、所半分自餘大衆等可
一、日興ハル弘安二年大御本尊日目與之本門寺
一、大石寺者云御堂墓所日目管修理勤行廣宣流布也。
 右日目十五之歳値日興法華以來至于七十三歳老體遺失之義、十七之歳詣日蓮聖人甲州身延山御在世七年之閒常隨給仕、御遷化之後自弘安八年元德二年五十年之閒奏聞之功依ナルニ、如、此也。仍後證狀如件。
   十一月十日
日   興  花 押
nikkouato_rekizen1-96.jpg


日蓮宗宗学全書 第二巻興尊全集興門集134頁
日興跡條條事

一、本門寺建立之時新田卿阿闍梨日目座主日本國乃至一閻浮提之内山寺等半分者、日目嫡子分管領、所半分自餘大衆等可
一、日興ハル弘安二年大御本尊日目□□□□授與之
一、大石寺者云御堂墓所日目管修理勤行廣宣流布也、
右日目十五之歳値日興法華巳來至于七十三歳老體遺失之儀、十七之歳詣日蓮聖人甲州身延山御在世七年之間常隨給仕、御遷化之後自弘安八年元德二年五十年之間奏問之功依ナルニ、如、此也、仍後證狀如件。
   十一月十日
日   興  

□凡四字者後人故意缼損之而授與下以他筆相傳之可奉懸本門寺九字
nikkouato_kouzen134.jpg


家中見聞中 富士宗学要集五巻188頁
第十七世日精上人の仰せの引文
日興跡条条の事

一本門寺建立の時は新田郷阿闍梨日目を座主と為し、日本国に於て乃至一閻浮提の内、山寺等の半分は日目嫡子分として管領せしむべし、残る所の半分は自余の大衆等之を領掌すべし。
一日興が身に宛て給る所の弘安二年の大御本尊日目に之レを授与す。
一大石の寺は御堂と云ひ墓所と云ひ日目之を管領す修理を加へ勤行を致し広宣流布を待つべきなり。
 右日目十五の歳日興に値ひ法華を信じて以来七十三歳の老躰に至るまで敢て違失の儀なし、十七の歳にして日蓮聖人の所甲州身延山詣で御在生七年の間常随給仕す、御遷化の後弘安八年より元徳二年に至る五十年の間奏聞の功、他に異なるに依て此くの如く書き置く所なり。
 元徳四年三月十五日
日興在判

nikkouato_fuyou5-188.jpg


富士門家中見聞抄(中) 歴代法主全書第二巻194頁
第十七世日精上人の仰せの引文
日興跡條々之事
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富士大石寺明細誌 富士宗学要集五巻327頁
第四十八世日量上人の仰せの引文
日興跡条々之事
nikkouato_fuyou5-327.jpg

★更新履歴
2014/10/20 貼り付け画像をサムネイルとリンクに変更、富要五巻188頁をテキストとして打ち込んだ
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曾禰殿御返事

開祖日興上人遺文
日興上人が故人を弔うために門弟を遣わす、つまり葬儀を執り行う旨を仰せである文証

曾禰殿御返事 正本 保田妙本寺蔵

 なによりハ一王(いちおう)殿の御うは(乳母)他界御事(おんじ)申はかり候ハす、明日こそ人をもまいらせて御とふらい申候ハめ。又精靈御具足法花(ほっけ)聖人の御靈前ニ申上まいらせ候。


  正月十七日

白   蓮 花押


    曾禰殿御返事

日蓮正宗歴代法主全書 第一巻152頁

読み下し
曾禰殿御返事

何よりは、一王殿の御乳母他界御事申しばかり候はず、明日こそ人をも参らせて御弔い申し候はめ。又精霊御具足法華聖人の御霊前に申し上げ参らせ候。

日興上人御遺跡事

開祖日興上人遺文

日興上人御遺跡事 正慶二年二月十三日 正本 大石寺蔵

 日蓮聖人御影竝御下文 園城寺申狀

 上野六人老僧之方巡可守護、但本門寺建立之時者可本堂。此條依日興上人仰支配事如此背此旨異議失タラン輩者永可大謗法仍誡之狀如件。

   正慶二年癸酉二月十三日

日   善 花押
日   仙 花押
日   目 花押


日蓮正宗歴代法主全書 第一巻213頁

日興上人御遺跡事 読み下し

日蓮聖人御影並びに御下文 園城寺申状

上野六人老僧之の方巡り守護奉る可し、但し本門寺建立之時は本堂に納め奉る可し。此の条日興上人の仰せに依り支配奉る事此くの如し此の旨に背き意義を成し失たらん輩は大謗法為る可べし仍て誡め之の状件の如し。

佐渡國法華講衆御返事(さどのくにほっけこうしゅうおへんじ)

開祖日興上人遺文

佐渡國法華講衆御返事 元亨三年六月廿二日 正本 北山本門寺蔵

 御かうしう(講衆)の申さゝむね(旨)、き(聞)こしめし候ぬ。さては、さいしやうどの(宰相殿)御事、しきぶ(式部)のきみ(公)のほんじやく(本迹)のほうもん(法門)を申を、き(聞)こしめして、御かう(講)、一とう(統)にならせ給たるやう(様)にき(聞)ゝ候しあいだ(間)、さ(然)のとおも(思)ふて候へば、そのぎ(義)なきに御かうしう(講衆)よりも、さいしやうどの(宰相殿)よりもう(受)け給候。さては御し(師)はたれ(誰)にて、御わたり候けるぞ、たれ(誰)より、さうでん(相伝)したりとも候はす。かうしう(講衆)は、しでし(師弟子)、そんぢ(存知)せぬと申され候。かやうに、あら(明)かに御わたり候けるを、一とう(統)の御かう(講)に、しまいらせ給けるこそ、ふさた(無沙汰)に候へ。じこん(自今)いご(以後)は、し(師)をさだ(定)めて、かうしう(講衆)にも、一とう(統)せられ候べし。このほうもん(法門)はしでし(師弟子)を、たゞ(糾)して、ほとけ(仏)になるほうもん(法門)にて候なり、たゞし日本國の一さい(切)しゆしやう(衆生)、ぢごく(地獄)にお(堕)ちうずると、しやう(聖)人の仰候は、上下萬民、しよほつしん(初発心)のしやか(釈迦)ほとけ(仏)をす(捨)てまいらせて、ある(或)いは、あみだ(阿弥陀)ほとけ(仏)、ある(或)いは大日によらい(如来)、ある(或)いはやくし(薬師)ほとけ(仏)を、し(師)とたのみて、ほんし(本師)しやか(釈迦)によらい(如来)にそむ(背)きまいらせ候あひだ(間)、むけんぢごく(無間地獄)とは、をう(仰)せ候ぞかし。さいしやうどの(宰相殿)御しんじん(信心)を、を(起)こし、ほんじやく(本迹)のほうもん(法門)をき(聞)こしめしう(受)けとらせ給ける、し(師)はたれ(誰)にて候けるぞ。御し(師)だにもさだ(定)まし候はゞ、御こう(講)にも、一とう(統)こそ候はめたゞしは御し(師)さだ(定)まらず候けるあひだ(間)、こぞ(去年)よりして、かうしう(講衆)一とう(統)しまいらせぬよし(由)う(承)け給候はあ(有)りがた(難)く候。そうしてさるべき人の御かうしう(講衆)に御わたり候こそ、かたかた(方々)のため(為)にもあ(有)りがた(難)きこと(事)にて候へけれ。さいしやうどの(宰相殿)よりの御じやう(状)にも、御し(師)はたれ(誰)とも候はず、かうしう(講衆)よりも、しでし(師弟子)ぞんち(存知)せぬと申され候あいだ(間)、御くやう(供養)おさ(収)めまいらせず候事は、きは(極)めておそ(恐)れ入て候へども、このほうもん(法門)た(立)て候事は、ゑんぶだい(閻浮提)一の大事にて候あひだ(間)、かやうにきたい(鍛錬)申候だにも、しやう(聖)人の御せうらん(照覧)にはゆる(緩)くやおぼ(思)しめ(召)され候らんと恐入まいらせて候なり。御かうしう(講衆)じこん(自今)いご(以後)において、へんぱ(偏頗)ありてしやう(聖)人のほうもん(法門)にきず(瑕)つ(付)け給候な。なをなを(尚々)このほうもん(法門)は、しでし(師弟子)をたゞ(糾)してほとけ(仏)になり候。しでし(師弟子)だにもちが(違)い候へば、おな(同)じほくゑ(法華)をたも(持)ちまいらせて候へども、むげんぢごく(無間地獄)にお(堕)ち候也。うちこしうちこしぢき(直)の御でし(弟子)と申やから(輩)が、しやう(聖)人の御とき(時)も候しあひだ(間)、ほんでし(本弟子)六人をさだ(定)めお(置)かれて候。そのでし(弟子)のけうけ(教化)のでし(弟子)は、それをそのでし(弟子)なりとい(言)はせんずるためにて候。あん(案)のごと(如)くしやう(聖)人の御のち(後)も、すゑ(末)のでし(弟子)どもが、たれ(誰)はしやう(聖)人のぢき(直)の御でし(弟子)と申やから(輩)おほ(多)く候。これらの人はうばう(謗法)にて候也。御こうしう(講衆)ら(等)このむね(旨)をよくよくぞんぢ(存知)せらるべし。恐々謹言。

  元亨三年六月廿二日

白  蓮 花押


     さどの國の法華かうしうの御返事

日蓮正宗歴代法主全書 第一巻182~184頁


※誤字脱字未チェックにつき注意のこと


プロフィール

美華子愛♪

Author:美華子愛♪
日蓮正宗信徒の美華子愛♪です。念のため申し上げておきますが、男性です。
昭和50年に創価学会三世として生を受け、以来平成20年まで創価学会に在籍。両親はともに現役の学会幹部。
創価学会の本尊が偽造本尊と知り平成20年に脱会、法華講の方と接触して御住職ともお話を伺い、日蓮正宗こそ正当と確信して同年に勧誡式を受けて日蓮正宗に帰伏、現在に至る。

本ブログは、主に日蓮正宗の教義資料の掲示、それに関連する傍系反系資料を含めて掲示します。
特に入手の難しい資料で信徒にも重要と思われる物について掲示していきます。
なお、誤り等あるときはご連絡いただけますと幸いです。

メールアドレスは
mikacolove0101-blog@yahoo.co.jp
メールの題に
【ブログ連絡】
と付けてくださると幸いです。

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